こんにちは、羊の数が人口よりも多いニュージーランドに暮らすA.Mioです。
以前書いた記事の中で、gender neutralな(性別による区別のない)単語について触れたことがあります。例えば、policeman→police officerやfireman→fire fighterなどが代表的な例です。
女性も首相になる時代
私が住むニュージーランドの首相は40歳になったばかりの若い女性ですし、つい最近話題になった例で言うと、北欧のフィンランドでは12月に34歳で世界最年少の女性首相が誕生しました。アメリカではまだ女性大統領は選出されたことはありませんが、2020年大統領選にむけて始まったばかりの民主党の大統領候補者選びで、その候補者の中にエイミー・クロブシャーやエリザベス・ウォーレンがいますね。
より日常に近い場所では、私の友人(パリ育ちのアイルランド人女性です)は子供達が小学校に上がって時間的に余裕ができたのを機に、一念発起してbuilder(大工)の資格をとり、建築の会社を始めたところです。(ちなみに、ニュージーランドではbuilderになるためにはライセンスのある親方について数年の見習い・実地での経験(apprenticeship)のあとに一人前の大工としての資格が得られます)
まだまだ実際の社会の中には様々な壁や偏見は存在しますし、国ごとに状況は異なりますが、近年では多くの国で能力次第でどんな職種にも性別に関係なく就くことができるように少しずつ変化してきていると言えます。
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男は人前で泣くべきではない?
ここニュージーランドでは、メインストリーム文化では
‘男子は人前で泣くべきではない’ とか、
‘男は強くなくては’
といったマッチョ文化(machoism)が存在しますが、一方で若手女性首相誕生のように、確実な社会の変化を身近に感じることができます。
そんな社会で10数年暮らすうちに、自分自身の中でもgender neutralな考え方に完全に馴染んでいる、と思っていました。しかし、子育てを通して、ふと自分自身のものの見方についてもう一度考えさせられる瞬間がありました。
’男の子なんだから、こんな小さなことでメソメソ泣かないんだよ’
ある日、無意識のうちに自分の息子に対してそんな言葉を投げかけている自分にはっと気が付ついたことがります。
女の子に対してであれば、‘もっと女の子らしくしなさい‘というフレーズはだれもが一度は耳にしたり、口にしたことがあるかもしれませんね。
私はランドセルは男の子は黒で女の子は赤、というのが当たり前な(自分もそれについて疑問を感じたことはありませんでした)時代の日本に育ったので、無意識のうちに自分の頭の中に
<男の子とは○○○/女のことは○○○>
という固定観念に基づいた区別があったのだと思います。
ニュージーランドにも広まるgender neutralな子供の育て方とは
ニュージーランドをはじめとする西洋諸国を中心に、ここ数年gender neutralな子供の育て方(gender neutral parenting)が広まりつつあり、それについて様々な議論がされるようになってきました。これは社会的性差による固定観念で1つのアイデンティティーに押し込めない、という子育て方法です。
わかりやすい例では、男の子は青い服/女の子はピンクの服、といった従来の色分けにそって服を着せるのを避けたり、男のだから車や怪獣のおもちゃ/女の子にはお人形、男の子は短い髪/女の子はロングヘアー、などの従来の性別にそったイメージにとらわれずに物事を選択する、ということが挙げられます。
我が家の2歳半になる息子はすさまじいエネルギーの塊を持つやんちゃな男の子ですが、本人が髪の毛を切るのを嫌がるので、現在はロングヘアーで髪をまとめ髪にしています。見知らぬ人からはよく‛女の子かと思った‘とか、‛女の子っぽいね‘と言われることがありますが、本人の意思を尊重して、彼自身が髪を短くしたいと言ってくるまではこのままのヘアースタイルを維持するつもりです。また玩具については、恐竜や車のおもちゃをたくさん持っていますが、それと同時に料理グッズのおもちゃも大好きなようです。そして、彼が涙を流している時には、先に触れた‘男の子なんだからメソメソしないんだよ’ではなく‛泣きたいときには思い切り泣いてもいいんだよ‘と言うようにしています。
変わりつつある社会にどう向き合っていくか
Gender nutralな育て方を徹底して実践しているとまでは言えませんが、彼が自分のアイデンティティーを確立していく過程の中で、社会の固定観念に左右されずにできる限り‛真の自分らしく‘育っていってくれたらなあ、と思っています。
また、あらゆる場面で‛diversity(多様性)‘が叫ばれ、冒頭で触れたようにジェンダーの差によって人の可能性が狭められてしまわないような方向に少しずつ変わりつつある社会において、‛diversity(多様性)‘や‛gender neutral‘といった言葉が一人歩きするのではなく、しっかりと実際に社会に根付いていくことこそが大切’です。
真に寛容で人が自分らしく生きやすい社会。
あらゆる可能性に満ちた社会。
私が育ってきた社会とは異なる場所で、息子やその新しい世代がはばたいて行けますように。
そんなことを願いながら、ここニュージーランドで子育てをしている日々です。
日本だけでなく海外でも英語指導経験のある講師。大学卒業後一貫して言語指導に取り組んでおり、学習者の立場になり分かりやすく、親しみのある指導を心がけています。ニュージーランドで日本語指導経験もあり、教えるということに関してはまさしくプロ!
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